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瞑想と五感


今日は春分の日でした。私たちを取り囲むエネルギーが宇宙レベルで変化するので宇宙元旦と呼ばれたりもしますね。

エネルギーとか目に見えないものの話は、分かりづらいし、なんかスピリチュアルな匂いがして苦手という方もいるかもしれませんが、私たちは本来みなスピリチュアルな生き物です。

遠い昔の私たちはそれこそ目に見えないものや、聞こえない音を敏感に感じ取る能力に長けていたことでしょう。それが、文明の利器の発達、五感の使いすぎ、使わなさすぎ、誤った使い方、情報の氾濫によって次第にその能力が失われていったのではないでしょうか。

(五感についての記述はアーユルヴェーダにおいては病気の原因になります。)

目に見えないものを大切にする時間として、数年前から実践している瞑想があります。

瞑想というよりは、集中の練習をしているといったほうが近いのかもしれませんが、毎朝のヨガの練習後、座る時間を持ちます。

先々週、大阪で瞑想のティーチャートレーニングを受講しました。4年前は瞑想そのものについてを学びましたが、今回は瞑想をお伝えする側からの勉強を。

それはそれは奥深い学びで、いつものことながら講師のキミ先生のお話にも引き込まれ、講座が終わりに近づくと、もっと学びたくて寂しくなりました。

感じたことを自分の瞑想の実践に生かし、落とし込み、そして自分の言葉で伝えられるようになるために、まずはじっくりと熟成させる時間が必要です。

「自分の言葉で」。この大切さを今回改めて感じました。わたしの言葉はいつも淡々としていて簡潔を目指しがち。もっと、表現を模索していくことが必要。

目に見えないものに重きを置く、本来の私たちのあり方に立ち戻るのなら、紡ぐことばの奥に潜む大きなエネルギーをその一語一語に纏わせられるような、そんな伝え方ができたら素敵だな。

ヨガとアーユルヴェーダ、そして瞑想を生活に取り入れるようになって感じた大きな変化は五感が敏感になったこと。

わたしの場合は特に聴覚・嗅覚が以前よりもかなり鋭敏になりました。

不調が表に出る一歩手前でのバランス調整の感覚も身についたので、調整が必要だと感じると、

なるべく自然を感じられる場所に足を運ぶようにもしています。

季節を感じ取る能力も、本来の私たちのあり方に立ち戻る大切な力ですね。

春の陽気に触れ、街路樹の蕾が大きくなっているのを目にして足と止めたり、雪を割って顔を出す福寿草の花に思わず顔をほころばせるような、そんな時間を持てていますか?

五感を喜ばせる時間と、魂を喜ばせる時間は両方大切にしていきたいですね。

写真は大阪最終日に立ち寄ったサムハラ神社。

サムハラとは不思議な力を持つ神語のようですよ。

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