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スクリーン越しの学びを通して

 長月を迎えました。今年の夏は暑かった。生まれ育った旭川は私が今暮らしている札幌よりももっと暑くて、天気予報を見てはあまり会えなくなった両親の体調を気にしていました。今までみたいに気軽に帰省できなくなってしまった今、年老いていく両親を思うと何ともやるせなくなります。


 昨年に引き続きオンラインでの学びが多く、今はアーユルヴェーダの講座の再受講や、カウンセリング講座、そして日々の聖典やサンスクリット語の勉強会、その他興味があるクラスの単発受講などなど、全てzoomで行われているものに参加しています。


 今や日本だけじゃなく、世界中の講師と繋がって学びたいことが学べる時代です。学術学会もオンライン開催が当たり前。ほんの数年前までは考えられなかったことが次から次へと可能になっていますね。


 インド料理をインドのキッチンと繋がって一緒に作れたり、なかなか会うことが叶わなくなった師とzoomで繋がれたり。ヨガだって、占星術だって、受けてみたかった講師のクラスがワンクリックで繋がる時代。

 以前会った若い男性が「今後は海外に住みたい」と言ったので、「留学で?」と聞いてみたら、「いや、勉強は学校に行かなくてもオンラインでどこでもできるから」と語っていたのにびっくりしました。これが世代間ギャップ? 私の固定観念のせい? だって私の中ではオンラインでの学びって、今この状況下での期間限定のもので、それが当たり前になる世の中なんていまだ想像がつかないんです。


 でも彼のいう通りなんでしょうね。これから先オンラインでの学びはコロナ禍が落ち着いてからもなくなるものではなくて、ひとつの選択肢として残っていくんでしょうね。

「でも、直接会って見聞きする学びって大事だよ。」そう言おうと思ったけど、ことばに出すことはやめておきました。「どちらかが選べるなら、彼も対面を選ぶかもしれないし」と。


 むかしむかし、まだ今のような学校ができる前のこと、ヨーガやアーユルヴェーダの学びは師から弟子へ口承で伝えられてきました。「shruti」(シュルティ)とは”聴くこと”。

学生たちは師が唱える聖典の詩句(シュローカ)を耳で聴き、自らもそれを繰り返すことで学びを深めていったのだそう。


私はこの光景に想いを馳せ、憧れます。そしてこの話を聞くといつも感動しちゃいます。


 伝統の教えの中では、学びの形には段階があり、最初の段階を「shravana」(シュラヴァナ)と呼び、”聴きこと”を指します。師からの教えを耳から聴くことで、それが自分の中で「当たり前になる」ように何度も繰り返す。なので伝統の学びは独学では難しいんですね。


 繰り返し聴くことがなぜ大事なのかというと、人の記憶っていい加減で、いちど聞いたことはすぐ忘れたり、しっかりと記憶に留めたつもりでいても、どこかで自分の都合のいいように変換されていたり、上乗せされた感情・気分で歪曲したり、誤った価値観で判断してしまっていたりします。

 今再受講中のアーユルヴェーダの講座でも「あれ?」ってことがたくさんあります。たくさん忘れているし、間違って覚えていたりするから、この自分の体験を通して「正しいものの見方を持って繰り返し聞くことの大切さ」を痛感しています。


 聴く側としての私個人も日々変化しています。聴く環境や、その時の私個人を取り巻く状況も、心理的な影響も、最初に聞いた時と同じものなんて(私たちが通常捉えられるものの範囲では)何ひとつとしてありません。


なので、受け取り方や感じ方って毎回違うことも多いんですよね。(また逆に毎回同じところで感動したり、笑ったり、びっくりしたり。)


 名前からその人が持つ波動を読んでくれるというセッションを以前受けたことがありますが、その時に私の特性についてこう言われました。「興味のないことは耳に入ってこないようにできている」と。全くその通りだったから笑っちゃいました。それにアーユルヴェーダ 的に見ても私のヴァータ優勢な体質の特徴そのまんまです。集中力にも波があるし、あまり長続きしません。


 さらに、オンラインでの学びは便利な反面、自分の中に取り込まれる知識の量が直接の学びに比べて少なくなるように感じていました。実際オンラインでの学びは直接の学びに比べ入る知識量が60%に満たないという統計結果が出ていると聞きました。(これもオンラインの講座でしたが。)


 オンラインの利点もたくさんあって、自分がリラックスできる環境で学べる反面、日々のあれやこれに引き戻される瞬間がたまにやってくるし、それをシャットアウトした上で参加するってプライベートのスペースだからこそ難しい。


 なので「シュラバナ」の実践を通して、自分の中で当たり前の知識になるまで学び続けることが大事だなと思っています。そしてその後によ~く考えること(マナナ / Manana)、深~くそれについて瞑想し、実践し、自分自身の知識にしていくこと(ニディディヤーサナ / Nididhyasana)という段階が続きますよっていうのがヨーガの学びの上で大切にされているステップです。


 スクリーン越しの学びが増えましたが、直接学ぶときのあの特別な空気感やエネルギーがやっぱり恋しいです。音楽ライブだって生で聞きたい。でももうしばらくはこの便利さを最大限に使っていきましょう。


 学びって、本当に終わりがないですよね。生きていれば何もかもが学びになる。何か行いをすれば、必ず結果が生まれます。その過程と結果から自分の中に生まれる好き・嫌いの感情や、それによってさらに生み出されるたくさんの面倒くさい「私」の反映も、すべて学びです。


 「自分自身を知ること」は怖いことも、辛いこともいっぱいですが、でもこれらすべては「しあわせ」に繋がります。アーユルヴェーダの古典書でもいわれています。「全ての人がが望む人生のゴールはモークシャ(完全なる自由)だよ」と。そして、それを得るために「健康」であることが必要だと。


 ヨーガとアーユルヴェーダの学びのその深遠さに魅了されながらも、「とんでもないものに足を突っ込んだもんだな〜。えらいこっちゃ」と思うのでした。



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(アーユルヴェーダのセラピストが行える範囲での体質相談となりますのでご了承くださいませ。)




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